両班、ユスリ・タカリの身分制度 [韓国の実態]

両班制度という言葉を、ある記事の書き込みに見つけた。
それで、検索して一つの質問・回答の記事と、Wikipediaの注目部分を転載しておく。


    自らは働かず、ユスリ・タカリの傲慢さ・・・・それを、高貴とみなす意識。
        今の国家の姿、暴論・卑劣は、文化の後進性ゆえ、と判明した。

    Wikipedia の「封建制の不在のため~」という一文が的を射ている。
      民族としての歴史が、発達段階を辿っていないため、近代思考は望めない。
        責任という概念が育たず、近代的な契約の概念は絶望的。

      制度と心理が、負の相乗効果で暗黒に向かっている、という印象である。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


韓国の両班 (ヤンバン) について教えて下さい
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/915511.html

質問:    投稿日時:2004/07/05 15:58

個人的に韓国に興味があって、結構勉強してきたつもりなのですが、どうしても分らないのが、両班 (ヤンバン) という身分制度についてです。

最初は、日本の貴族のような王族をとりまく特権階級かな、と思っていたのですが、どうもそれだけではないようです。 もっと精神文化的な意味が強そうです。

そこでお教えいただきたいと思います。

1.もし、両班が貴族階級なら、それを示す何らかの象徴か、代々伝わるような両班という身分を証明する何かがあるように思うのですが、そういう具体的な物品はありますか?  つまり、何もなくても 「自分は両班だ」 と言えば、通用したのか? また、娘を王族に嫁がせるような事はあったでしょうか?

2.今でいう公務員、または村長だったのでしょうか?  または、地方にあっては、中央政府の出先機関のような仕事を普段していたのでしょうか?  つまり、年貢の取立てや、新しい法律や条令を農民に啓蒙する任務とか、あったのでしょうか?  それと、主たる経済的収入源は?

3.なぜ両班は肉体労働を蔑視して、雨が降り出しても決して走らない、とか優雅さを求めるようになったのか?

4.文班と武班を兼ねたのが、両班と聞きましたが、それでは、両班は武道に長けていたのか?  肉体を動かす事を極端に嫌う両班に武道ができたのか?

5.本当は両班は尊敬どころか、農民や一般市民から、とても嫌われた存在だった、と聞いた事があります。 本当でしょうか? その理由は?  もし事実なら、なぜ今の韓国で良い意味で使用されるのでしょうか?

今まで聞いた範囲でのイメージとしては、労働など一切しないで、花鳥風月を賞でたり、儒教や天下国家を論じながら酒を飲んで一日を過ごす、グータラ階級という感じがして仕方ありません。

両班について書かれた文献を読んだ事がありますが、とても難しいので、分かりやすくお教え下さい。


回答

両班制度は時代ともに変遷しており非常に複雑なもので一概にこうだということは出来にくいです。

先にご質問についてですが一般的なことと思ってください。

1.貴族階級と考えるとわかりにくいかもしれません。むしろ日本で言う官僚制度に近いものです。高級官僚になるための科挙(試験)は常民にも開かれていましたが実質的には両班に独占され、相互に血縁関係を結び、現在でも韓国に残る「族譜」(系図)を作成し排他性を保っていました。この「族譜」が身分を証明するものに他ありません。例えば最近あった事件のように突然「●●宮家」だといっても通用しないのと一緒ですよね。

2.国家公務員として考えてください。トップは総理大臣みたいな高官になる人もいれば地方行政の長もいるわけです。高級両班は首都に居住していましたが出身地と密接な関係をもち京在所をもちコントロール使用としていました。地方在住両班は自治的な法律(郷約)をもち裁判権を行使して一般民衆を支配しました。収入源ですが今で言う地方税の収入が合ったわけですよね。

3.朱子学の影響です。学問が全ての中心という気風があったため優雅さと言うよりも、言葉では言いにくいですが自然の理であるといった思想だからです。
いわば支配階級はみんな学者さんという世界ですよね。肉体労働を蔑視したというよりもホワイトカラー&ブルーカラーといったような思想があったことは確かです。また身分制度も影響しています。
両班・・支配階級
中人・・下級両班(技術官僚)
常民・・一般人民(労働者)
奴ひ

4.元々は中国に起源を持ち国家の会合の東班(文官)西班(武官)から来ています。だから武道ではないわけですね。ちなみに両班の支配下に武人がいたわけですから現在の日本やアメリカと同じようなシビリアンコントロール(文民統制)です。

5.当然支配階級ですから通常は嫌われると思いますよ。16世紀の日本軍17世紀の清軍の進入により国家の財政危機を打開するため政府が積極的に売位売官を行ったことと族譜の偽造や戸籍の虚偽が多くなり17世紀以降両班の人口が非常増えました。1894年の甲午改革によって身分解放が行われ両班特権が消滅しましたが彼らの影響力は消滅することはなく社会意識は変化しませんでした。

もともと両班は法律や規定によって定められた志度ではないのと、李朝から続く両班への上昇志向、また、「族譜」は両班の同族のみで編纂されていたのが近年では同姓同本(本籍と姓が同じ)の人を網羅するようになって多くの人たちが両班の末裔意識するようになり社会全体に広がったわけです。


この回答へのお礼

詳しくご回答頂き、ありがとうございました。 実は韓国にも友人が何人かおり、以前、両班について聞いた事があるのですが、意見がバラバラで曖昧模糊とした感じを受けておりました。 
基本的には貴族ではなく、官僚だったんですねえ。
それと李朝末期に売位売官があったため、自称、両班という人たちが出現したのですねえ。
この韓国独特の両班という階級を理解しないと、なかなか韓国人の心を理解できないな、と感じておりましたので、大変勉強になりました。
ありがとうございました。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


両班        参照: Wikipedia

兩班(りょうはん、양반〈ヤンバン・大韓民国〉、량반〈リャンバン・朝鮮民主主義人民共和国〉)は、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った身分階級のこと。士大夫と言われる階層とこの身分とはほぼ同一である。なお、朝鮮半島の身分制度は甲午改革後に廃止された。

李氏朝鮮王朝時代には、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)に分けられる身分階級の最上位に位置していた貴族階級に相当する。現在の韓国においても李氏朝鮮の両班のように志操の高い精神構造を両班精神、両班意識などと呼んだりする。

しかし、高麗時代に両班が作られた時は身分階級ではなく官僚制度を指す言葉だった。

時代が下るにつれ両班の数は増加し、李氏朝鮮末期には自称を含め朝鮮半島の人々の相当多数が戸籍上両班となっていた。現在の韓国人の大多数が両班の血を引くと自称しているが、族譜を見れば大体分かる。

  (略)


両班の特権

李氏朝鮮時代の両班は、科挙の内、文科・武科を受けて官僚になることができた。中人は雑科のみが受けられ、高位に登る事ができない。常民は科挙を受ける権利を基本的に持たない。この区分は時代が進む内に整備されていったと考えられている。また兵役の免除、刑の減免、地租以外の徴税・賦役の免除。社会的特権として、常民に道や宿の部屋を譲らせる権利やその他、家・衣服・墳墓・葬礼などに対して常民に比べ、さまざまな権利を有していた。

封建制の不在のため、地方の両班による中央からの自律的な支配や経済政策は見られなかったと言われている。そのため、下層民からの収奪に頼る度合いは大きかったと思われているが、朝鮮王朝末期には両班層が極端に増えていることから身分だけでその消費生活を類推することは難しいとの見解もある。


外国人文献に見る具体的な描写

イザベラ・バード『朝鮮紀行』より
「朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそり よその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけ かき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」
「当時はひとつの道に44人の地方行政官がおり、そのそれぞれに平均400人の部下がついていた。部下の仕事はもっぱら警察と税の取り立てで、その食事代だけをとってみても、ひとり月に2ドル、年に総額で39万2,400ドルかかる。総員1万7,600人のこの大集団は『生活給』をもらわず、究極的にくいものにされる以外なんの権利も特典もない農民から独自に『搾取』するのである。」


マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』より
「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」
「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」
「両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、自ら金銭を得るために様々な手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には金が無いと主張する。」
「すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎとる。のちに守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。」

タグ:両班
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