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福沢諭吉の朝鮮独立支援から、「脱亜論」まで [先人の教え]

近代日本が、力を合わせて欧米の植民地化を防ごうと努力した足跡。
  これが、「脱亜入欧」 の本当の理由です。

近代ハングルを教育し、西洋の学問を学ぶ機会を与えた福沢が、
    『脱亜論』 を書き残さねばならなかった経緯です。

今現在、幸か不幸か、ここに来て、
    日々の現実が、彼の国の実情を私達に突き付けています。
    日本人には信じられない下劣な行為を次から次に重ねる姿です。

かつて、欧米列強の支配が迫りくる時代の下で、
        明治の先人たちが、どんなに苦労したか。


その先人の苦労を窺うことができる記事を、下に転載します。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


福沢諭吉の朝鮮独立支援から、「脱亜論」まで
http://2chcopipe.com/archives/51845812.html

646 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 06:36:35.60 ID:ARgMRFTL0

<「近代ハングルの父」、福沢諭吉の朝鮮独立支援から、「脱亜論」まで>

●当時、朝鮮は清(中国)の属国だった。
●諭吉は、朝鮮民族独立のために当時ほとんど使われていなかったハングル文字を復活させ、漢字ハングル混合文を考案

・諭吉は、自費で活字を作り、慶應の弟子に命じて、初めてハングル新聞を作った → 朝鮮人の保守派から反発を買う
・諭吉は、自らが作った慶応義塾に、朝鮮人留学生60人を受け入れた(朝鮮では、西洋の学問が禁止されていた)
・諭吉は、金玉均(キム・オッキュン)を慶應で学ばせ、伊藤博文ら要人を紹介、人的、金銭的に独立運動を支援した

       ↓
●金玉均ら独立党の独立運動は失敗に終わる(甲申事変)

   →後に、朝鮮政府は、清が拘束した金玉均を凌遅刑(生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、
       長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑)に処した後、バラバラにした体を、朝鮮全土にさらした
       (胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された)

・慶應に受け入れた朝鮮人留学生は、学問をせず遊んでばかりか、喧嘩や盗みを繰り返し、慶應の金庫までも荒らした
・朝鮮政府は、独立党の他の党員も処刑し、党員の家族(老人、婦人、幼児まで)も残虐に処刑した

●諭吉、朝鮮とその背後の中国に対して失望する

       ↓
●『脱亜論』を発表する。


772 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 08:07:21.10 ID:aoVpC9eg0
>>646
これを大河ドラマにして国民に啓発すべきだな
マスコミや日教組に騙されている人達にも知ってもらわないと


904 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 09:15:02.30 ID:sBRx0FFE0
>>646
>>772
そうだよな。

大河ドラマ「福沢諭吉 -朝鮮の独立を夢見て」

       二人の弟子、井上角五郎と金玉均に託した夢とは

  ~  ハングルの復活と整備、独立運動の支援から朝鮮への失望まで ~




関連コピペ:『脱亜論』の現代訳


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『脱亜論』の現代訳
http://2chcopipe.com/archives/51290693.html

216: ノイズs(関東・甲信越)sage2009/10/09(金) 10:41:58.97 ID:QB6l2O2l

『脱亜論』の現代訳

日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、
道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)

タグ:脱亜論

自分に負けるな、嘘をつくな [先人の教え]

一か月余り前、テレビドラマで印象深い場面に出会った。
幼い息子に父親が教える言葉だ。

  自分に負けるな、嘘をつくな、弱い者をいじめるな
        それだけで男は十分だ

会津藩の教育制度、「什」の掟につながることを、後日知った。

  参照一例: 会津武士道 「ならぬことはならぬ」の教え


本当の敵は、自分自身である。
一番の敵、唯一の敵、それが自分自身。

ほんの小さいことで、言い訳をして誤魔化してしまうと、
  その嘘を庇うために、また次の嘘をつく。
  本当のことは、無理をしなくても辻褄が合わなくなることは無い。
  しかし、嘘は、誰に何時、どんな嘘をついたのかを覚えていなくてはならない。
  辻褄合わせのために、待ち構えて考えておかなければならない。・・・・疲れる。
心が疲れるから、八つ当たりする。
  当然、自分より強い者には八つ当たりなんかできない。
  弱い者、反撃しない者、優しい人にまで八つ当たりをして、自分を誤魔化す。
  これが、弱い者を虐める、という行為である。

嘘、弱い者いじめ、・・・・どちらも、自分自身に負けた、という証である。

  自分自身で、自分の人生に対して、「筋を通す」ことを放棄したのだ。

自分自身に対して「筋を通す」ことが出来なくて、
他人に対して、「筋を通す」なんて出来はしない。
    言葉を交わして相互理解を深めることも、
    自分の立場を説明して協力を得ることも、出来はしないのである。

弱い者虐めをするな、というのは、
  自分自身が弱い者、つまり、自分自身に負けた存在になるな、ということ。

自分自身と向き合い、自分の弱い心に負けないことを教えなければならない。
  誰だって失敗する。良かれと思っていても悪い結果を招くこともある。
  後から振り返ったら、あれは拙かった。こうすれば良かった。
        そんな経験は誰だって数えきれないほどある。
大切なのは、その時その時に自分自身と向き合って、人間としての「筋を通す」こと。
謝るべきは謝り、学ぶべきことは学び、二度と同じ失敗をしないように心に留める。
失敗を重ねた分だけ成長する。
だからこそ、失敗から学んで賢くなり、新たな段階へと進んで行けるのだ。

自分に負けて誤魔化した、狡い大人が、命の尊さを叫んでも、役に立ちはしない。
嘘に塗れた言葉に、「筋の通った力」 など在りはしないのだから。
    自分は誤魔化していました、と言って自分に打ち勝つ姿を示すしか無い。
    本来、心からの謝罪とは、そういうものなのである。


  自分に負けるな、そう言って自分を励まし、周囲を励ましたいものである。

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